
険しい山岳に生きる ドールシープ
世界最北のヒツジであるドールシープは、天敵であるオオカミやヒグマの存在から逃れるという理由で急峻な崖を彼らの生息域とした。寒く険しき山陵から聞こえてくる彼らの足跡を追う。

ブルックス山脈・アラスカ山脈・チュガッチ山脈
地図上にリズミカルに並ぶこれらアラスカの主要な三つの山脈は、すべて極地に位置し東西に走る山脈である。
今でも北へ移動を続ける北太平洋プレートが、北米プレートを押し上げることでできた。いずれの山脈も1万3千年前の最終氷河期から、氷河の融解によって削られた山塊であるため、稜線は鋭く、峰には絶壁が多い。
そういったアクセスが困難な場所が、ドールシープの生息域である。
僕は、これらのすべての山脈のどこかしらの山に登りそれぞれのドールシープを至近距離から撮影してきたが、厳冬期に彼らの姿を見たことがなく、冬をどう過ごしているのかが気になっていた。寒さの厳しさが残る3月にアラスカ山脈がつらぬくデナリ国立公園へ向けて出発した。
アラスカでは象徴的なドールシープの存在 歴史的背景
ドールシープはその美しさから、長いあいだ狩猟の対象となってきた。1900年代にアラスカに人々が入植した時代には、乱獲され絶滅が危ぶまれた。
そのなかで、自身もハンターとしてアラスカでドールシープを獲っていたチャールズ・シェルドンという男がいる。3度目となるアラスカでのハンティング旅行中に、変化が起こる。このドールシープを守ってゆきたいと思うようになるのだ。
“氷河と雪を背景に、白い羊の群れが警戒心をもって立ちすくむ姿を見たことがある人ならば、彼らの野生と自由な生に、強く心を打たれるだろう。銃を構える衝動はしだいに消えてゆき、やがて、ただ静かに見つめるだけで満たされるようになる ―彼らの世界の一部に、ほんのしばらくでもいさせてもらえること、それだけで。”
― チャールズ・シェルドン 『The Wilderness of Denali (1911)』
「撃つべき存在」から「共に生きる存在」へ。アラスカの自然を見た人々は、ことごとく、この意識の移行を自身のなかで遂行する。
僕は、本来の自然とは狩猟することも含まれはするが、現代はそうでなくて良い、と考える。根源である自然と共に生きてゆくことを最優先して良い時代なはずだ。
今回撮影するドールシープという動物は、1917年にアラスカで初めての国立公園が設立するきっかけとなった、最重要の動物であり、アラスカにおける自然保護の象徴となっている。

ドールシープの特徴
・厳しい寒さに耐える厚い毛皮を持つ。
とくに夏から秋にかけて換毛した冬毛は、緻密なアンダーコートを持ち、体温を保持する。
・険しい岩壁を登れるように蹄(ひづめ)が開くため、 尖った岩場でも上り下りができるように蹄が開き、内側の柔らかいパッドになっている部分も使って、岩を掴むように歩くことができる。
・オスは体格に見合わないほどの巨大な角を持つ。 歳を重ねるごとに巻いてゆき、約8年すると、横から見た時に一周するような巻き方をしている。
厳冬期は何をしているのか。
これまで数えきれない撮影の旅を繰り返してきた。厳冬期キャンプや雪山登山にもある程度慣れてきた2020年以降は、冬の撮影にも重きを置いてアラスカのより厳しい世界を写している。
これまで、低い位置に降りてくる秋の季節の撮影か、下から双眼鏡で見上げるしかなかったドールシープを、彼らの得意とする生活の拠点にまで上がってゆき、一日中同じ場所で、同じ目線で過ごしてみたい。
旅の目的は、ドールシープが落ち着いて冬を耐える生活の拠点で、彼らに警戒されることなくじっくり観察と撮影をすること。そして、厳冬期の一日は、どのように過ごしているのかを知る。
情報収集
いつも野生動物の情報を集める時には、魚類野生動物局(Alaska Department of Fish & Game)を訪れる。この機関は本来、ハンティングの規制やライセンス取得を管理する組織であったのが始まりだが、1959年にアラスカが州になったとき、地元の人々が、アラスカの自然を維持し守ってゆくという主権を主張したことで、他州よりも動物を守るという目的が強いと感じられる機関である。
ここの研究者に話を聞くことができると撮影にはとても有益な情報を得ることができる。さらには、この研究者と共同で仕事をしている、野生動物技術者(研究のためにフィールドで実査にサンプル採取している人)に話が聞ければ、インターネットや書籍などの情報は比べ物にならない。


崖をよじ登る
冬のドールシープと同じ目線を獲得するには、標高を1000から2000メートルまで登らなくてはならない。デナリ国立公園は、冬季は基本的に閉鎖されているため、入り口付近からまず、歩いて山の麓まで移動する必要もある。
この撮影行をもっとも困難にするものは、その麓までの積雪になる。スノーシューも携行するが、できる限り雪の少ない南側と、川沿いを歩き、凍りついたサベージ・リバーの奥まで歩いて入ってゆく。
双眼鏡を使って眺めると、この日はイヌワシをみつけた。渡り鳥であるイヌワシは、ユタ州やコロラド州で越冬を終え、子育てのためにアラスカへ戻ってくる。もう、厳冬期は終わり、初春を知らせる風景だった。
そして、デナリ国立公園では大変珍しいハクトウワシが、このイヌワシのサーマル(上昇気流)飛行に加わった。異なる2種の猛禽類が同時に空を共有してかなり近くを飛んでいるのを僕はこの時に初めて見た。
ドールシープの近くにいることには何か理由があるのだろうか。イヌワシはドールシープの仔を襲うことは知られているが。
そう思いながら山を双眼鏡でなぞると、二つの白い点が目に入る。よく見ると、二頭のオスのドールシープであることがわかる。
自分の位置が標高700m。そしてドールシープがいるのは200mくらい登ったところだろうか。900mであれば、比較的低い位置にいてくれた。これなら近づける。
装備を整えて、行動食と飲み水の量も確認して登り始めた。
南側斜面で三月の日差しに晒されて、または風に運ばれて、雪は吹き溜まり以外にそれほど深くなく、軽快に登って行ける。一部大きな谷があり、苦戦し時間がかかったものの、二時間ほどでドールシープの休息する崖の上に到達した。
まずは隠れながら彼らに近づき、ゆっくり姿をドールシープに見せる。自分の存在を隠し通して最後まで近づこうとすると、逃げられる。音だけが聞こえているドールシープからすれば不安になって逃げ出したくなるのも不思議ではない。
僕を見た二頭のドールシープは反芻をとめ、しばらく僕の方を凝視していた。オオヤマネコのように鋭くこちらを見つめる目を持たないが、両耳がこちらに向けられて、体の筋肉が強張り、頭が少し高くなるのがわかる。いま動いてはいけない。
1時間以上をかけて、自分も草を食む行動を真似してみたり、反対を向いて寝そべってみたり、とにかくドールシープに、敵ではないこと、危険ではないことを行動でアピールしてみる。
これまでにないほどに、彼らは僕が至近距離に居座ることを許してくれた。オスの二頭は僕の存在を受け入れてくれて、この日の最後の撮影では、2メートルの距離(自分から近づいたのではなく、彼らが下草を求めて歩いて近づいてきた!)になっても、気にしなくなった。あまりに近づきすぎて頭で突かれたら大変だと、僕の方から離れたくらいだった。
そうして僕は一日中、彼らの行動を観察することができた。